近年、在宅で最後を過ごしたいという人が増えています。
人が亡くなると、全員に死亡診断書が交付されると思いがちですが、中には死体検案書という人もおられます。死亡診断書と死体検案書の書式は同じですが、死亡診断書はかかりつけ医が書き、死体検案書は警察の医師が書きます。
例えば、
自宅で就寝中に亡くなった場合、家族はかかりつけ医に連絡します。医師は原則、患者を診療しないで診断書や検案書を交付することはありませんが、かかりつけ医であれば診療を継続中の患者がその疾患で亡くなった場合には、最後の診療から二十四時間以内であれば例外的に遺体を確認することなく死亡診断書を交付することができます。また、最終診察から二十四時間以上経過している場合には、改めて死後の診察を行い、死亡原因が診察中の疾患に関係するものと判断されれば死亡診断書が交付され、死亡届や通夜の準備を進めることができます。
では、かかりつけ医がいない場合はどうでしょうか。
まずは、救命措置が必要か確認して救急車を呼ぶか、すでに死亡が確認できる場合は、警察に連絡します。警察による事情聴取や現場検証、検視等が行われ、事件性がないと判断されれば死体検案書が交付されます。この場合、警察が来るまで亡くなった人の状態をそのままにしておく必要があります。入浴中の死亡でも、湯船から上げたり、服を着せる等動かしてはいけません。時間もかかりますし不安ですよね。
家族や自分自身のためにもかかりつけ医をもちましょう。
2025年03月01日
卒業式に想う
三月は卒業式。各学校で卒業式が行われる。私の小学校時代は五十年以上前であり、その記憶は薄らいでいるが、当時御厨小学校は体育館がなかったので三階の六年生の二教室をつないで講堂がつくられた。いすを並べ、入退場の練習、礼の仕方や卒業証書の受け取り方も練習した。卒業式では、君が代斉唱、校歌、仰げば尊しを歌い、蛍の光で送り出された。二クラス六十人程の卒業生と在校生は五年生だけ。それでも掛け合いも賑やかだった気がする。保護者はどこで見ておられたのだろう。
私の子どもたちは、田代小学校を卒業した。平成十年当時は、どの学年も十名程の卒業生であった。体育館の舞台で卒業証書を授与された後、将来の夢を語ってから階段を下りた。みんな大きな声で将来の夢を語った。答辞を読む児童は答辞の練習、送辞を読む児童は送辞の練習、全員で掛け合いの練習は昔と変わらず、校歌のほかにも当時の卒業ソングを日々練習し、本番に備えた。
卒業とは、特別なことではないかもしれない。その時が来たらみんな卒業するのである。でもその答辞や送辞を聞きながら嬉しさ、寂しさ、感謝の気持ちに涙する子どもたちがいた。親もまたしかりで子供たちの成長に感動した。毎日顔を合わせているのに、(いつの間にこんなに大きくなったのだろう!)とか(こんなにしっかりしているなんて!)と改めて我が子への想いを強め、ここまで育ててくれた先生方に感謝をした。それが謝恩会だった。かつては「仰げば尊し」が定番だったが、最近は歌われなくなったようだ。歌詞が難しいことや内容が今の時代にそぐわないとのことらしいが、個人的には心に残る歌である。かつて聞き覚えのある卒業ソングは、「旅立ちの日に」「翼をください」「ありがとう・さようなら」「今日の日はさようなら」など。平成にも令和にも素敵な卒業ソングがたくさんある。
今年の卒業式では、どんな歌が聞けるのだろう。
私の子どもたちは、田代小学校を卒業した。平成十年当時は、どの学年も十名程の卒業生であった。体育館の舞台で卒業証書を授与された後、将来の夢を語ってから階段を下りた。みんな大きな声で将来の夢を語った。答辞を読む児童は答辞の練習、送辞を読む児童は送辞の練習、全員で掛け合いの練習は昔と変わらず、校歌のほかにも当時の卒業ソングを日々練習し、本番に備えた。
卒業とは、特別なことではないかもしれない。その時が来たらみんな卒業するのである。でもその答辞や送辞を聞きながら嬉しさ、寂しさ、感謝の気持ちに涙する子どもたちがいた。親もまたしかりで子供たちの成長に感動した。毎日顔を合わせているのに、(いつの間にこんなに大きくなったのだろう!)とか(こんなにしっかりしているなんて!)と改めて我が子への想いを強め、ここまで育ててくれた先生方に感謝をした。それが謝恩会だった。かつては「仰げば尊し」が定番だったが、最近は歌われなくなったようだ。歌詞が難しいことや内容が今の時代にそぐわないとのことらしいが、個人的には心に残る歌である。かつて聞き覚えのある卒業ソングは、「旅立ちの日に」「翼をください」「ありがとう・さようなら」「今日の日はさようなら」など。平成にも令和にも素敵な卒業ソングがたくさんある。
今年の卒業式では、どんな歌が聞けるのだろう。
2025年02月01日
玉の輿(たまのこし)の日に思う
車のエンジンをかけると、カーナビが話しかけてきた。「一月二十日、今日は玉の輿の日です。」と。これは気になりますよね。
「あの人は玉の輿に乗ったね」とか言ったりしますが、玉の輿の訳は、貴人の乗る美しい立派な輿、女性が結婚などによって富貴の身分になることと記されています。その語源には、二人の女性の存在がありました。
一人目はお玉さん。西陣の八百屋の娘で父親の死後、下級武士本庄家の養女となります。当時は士農工商の身分制度があり、商から士へ一気に上がります。その後、公家出身の尼僧(のちの三代将軍家光公の側室となるお万の方)の侍女となり大奥にあがります。成人後、お玉も家光公の側室となり、のちの五代将軍綱吉公を産みます。生母として従一位という当時の女性の最高位に上り詰めました。
二人目は京都祇園の芸妓お雪さん。アメリカの大富豪、モルガン財閥の創始者の甥ジョージ・モルガン氏の妻となった人です。失恋旅行に来たジョージは、外国人向けの茶屋で働くお雪を見初め、四年の月日をかけ、四万円(現在なら約八億円相当とか!)を払って身請けした。妾でなく、本妻として1904年1月20日、横浜で結婚式を挙げたのです。これが、「玉の輿の日」と呼ばれる訳です。モルガンお雪は、近代史上最高の玉の輿、日本のシンデレラと呼ばれました。
近年は「逆玉」という言葉もあるようですが、男女平等の世の中、お互いを高め合える相手に出会ったとき、その人とともに生きたいと思った時が最上の時なのではないでしょうか。でも、もし、お玉さんとお雪さんに出会うことができたなら、玉の輿の乗り心地、聞いてみたいものですね。
「あの人は玉の輿に乗ったね」とか言ったりしますが、玉の輿の訳は、貴人の乗る美しい立派な輿、女性が結婚などによって富貴の身分になることと記されています。その語源には、二人の女性の存在がありました。
一人目はお玉さん。西陣の八百屋の娘で父親の死後、下級武士本庄家の養女となります。当時は士農工商の身分制度があり、商から士へ一気に上がります。その後、公家出身の尼僧(のちの三代将軍家光公の側室となるお万の方)の侍女となり大奥にあがります。成人後、お玉も家光公の側室となり、のちの五代将軍綱吉公を産みます。生母として従一位という当時の女性の最高位に上り詰めました。
二人目は京都祇園の芸妓お雪さん。アメリカの大富豪、モルガン財閥の創始者の甥ジョージ・モルガン氏の妻となった人です。失恋旅行に来たジョージは、外国人向けの茶屋で働くお雪を見初め、四年の月日をかけ、四万円(現在なら約八億円相当とか!)を払って身請けした。妾でなく、本妻として1904年1月20日、横浜で結婚式を挙げたのです。これが、「玉の輿の日」と呼ばれる訳です。モルガンお雪は、近代史上最高の玉の輿、日本のシンデレラと呼ばれました。
近年は「逆玉」という言葉もあるようですが、男女平等の世の中、お互いを高め合える相手に出会ったとき、その人とともに生きたいと思った時が最上の時なのではないでしょうか。でも、もし、お玉さんとお雪さんに出会うことができたなら、玉の輿の乗り心地、聞いてみたいものですね。
2025年01月01日
今日の勉強「2025年問題」について
2025年問題とは、「団塊の世代」と言われる八百万人全員が今年75歳以上となり、「超高齢化社会」を迎えます。その為、医療、介護、雇用、福祉等に深刻な影響を及ぼし、人材不足や後継者問題、社会保障費の増加等が予測されます。たとえば、高齢者の足として大事なバス、タクシーの運転手が不足し、バス路線の廃止や便数の減少も増えています。建設業や配送業に欠かせない大型トラックの運転手も不足しています。地方では、医師や看護師、介護従事者等も不足しており、介護事業所の廃止も増えてきました。高齢化により医療・介護、年金のニーズが高まり社会保障費は増加しています。
2025年を乗り越えるために私たちが取り組むことは、「何とかなる」ではなく、「何とかする」ということを意識して問題に向き合うことかもしれません。例えば、多様な働き方への柔軟な対応です。事業者が多様な働き方に対応することで、働き手も雇用者も助かる可能性があります。また、人材不足の解消法として、配膳ロボット、介護ロボット、セルフレジ等DX推進による業務効率化も検討してみましょう。地元業者の廃業にも「後継者が見つからない」という声があります。家業や跡継ぎという考えに固執せず、引き継ぎたいという第三者の声にも耳を傾けてみてはいかがでしょう。
2025年を乗り越えるために私たちが取り組むことは、「何とかなる」ではなく、「何とかする」ということを意識して問題に向き合うことかもしれません。例えば、多様な働き方への柔軟な対応です。事業者が多様な働き方に対応することで、働き手も雇用者も助かる可能性があります。また、人材不足の解消法として、配膳ロボット、介護ロボット、セルフレジ等DX推進による業務効率化も検討してみましょう。地元業者の廃業にも「後継者が見つからない」という声があります。家業や跡継ぎという考えに固執せず、引き継ぎたいという第三者の声にも耳を傾けてみてはいかがでしょう。