2022年08月01日

I'm possible

impossible(インポッシブル)
意味:不可能、無理
I'm possible(アイム ポッシブル)
意味:私はできる。
不可能と思えても、工夫次第で可能になる。

 「I'm possible」(アイム ポッシブル)は、国際パラリンピック委員会公認教材で、日本障害者スポーツ協会日本パラリンピック委員会が、全国の小中高校に配布しました。
 「impossible」(インポッシブル)は、不可能という意味ですが、ここに、「’」(カンマ)をつけることで、「I'm possible」できる!となります。
 不可能に思われることでも、工夫次第でできるようになる。というメッセージが込められています。全ての人に通じる素敵な言葉です。

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戦後七十七年目の夏

 八月十五日は、終戦記念日。終戦から七十七年を迎えます。
 私は、七十七年前の戦争を知らない。しかし、毎日のようにテレビからロシア軍のウクライナ侵攻の様子が映される。多くの人が亡くなり、国を追われ、異国の地での生活を余儀なくされている。一方で、戦禍にもかかわらず、多くの人が「祖国に帰りたい」と涙している。
 先日、高齢の婦人から、「二度と家族を死なせたくない、戦争を起こしてはならない」その思いを伝えたいと、七十七年前に戦死した家族の「遺書」を見せていただいた。昭和二十年二月末に出征し八月に終戦。帰ってくるとの喜びも束の間、戦死広報が届いた。この遺書は、出征前に当時三十三歳で、六〇歳の母に宛て書かれたものです。この想い決して無駄にしてはいけないと改めて心に刻みます。
 今年のお盆は、先祖とともに多くの戦死者に思いを馳せ、生かされている事への感謝を込めて、迎え火を灯します。



        遺  書
三十余年の間、我が身を削って優しく育て上げくださった事、
深く厚くお礼申し上げます。何等孝養もできず、
始終御心労おかけしまして申し訳ありません。
深くお詫び申し上げます。
お蔭をもって、再度のお召しを受け征ける事、
男子の本懐この上もありません。
喜んで征ってまいります。感激に堪えません。
何卒母上様も御老体であれば、充々御身体御大事に、
ご無理されない様にして一日でも長生きしてくださいませ。
君 心配でしょうが、苦しいでしょうが、
心の目を開き、兄に代わって母上を大事に、
職業を習い、暮らしてください。
さん 元気でしっかり国家の為、頑張ってください。
くれぐれも、ご一同様御身体をお大事されます様。
              母上様



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2022年07月01日

いろは四十七音「「いろは歌」

 いろはにほへと ちりぬるをわか……
 たまに聞くと、懐かしいフレーズですよね。このいろは歌は、ひらがな四十七音が、一文字もダブらずに構成されています。手習い歌だと思っていましたが、いろは歌には、深い意味が込められていました。
 皆さんご存じでしたか?(知ってる!すごい!)
 
まず、フレーズの区切りですが…
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす

漢字で詠むと…
色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず

解釈の一例をご紹介します。こんな意味らしいです。
花が咲いても散ってしまうように、この世に常に変わらない人は誰もいない。
迷いの多い人生という山を今日も乗り越えて、
一時の栄華のような儚い夢に酔わずに生きていこう。

 この四十七音には「ん」は含まれていません。でも最後に「ん」と呼んでいたような・・。
 人生の機微を感じながら、これからの人生に「ん(運)」がつくように頑張ります。いろは歌に寄せ、平安時代から「涼」を届けます。

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2022年06月01日

楽しみながら防災活動

 五月二十九日に松浦市で長崎県総合防災訓練が実施されました。
 自主防災活動は、いつ起こるかわからない災害に対して、住民が主体的に取り組む活動です。しかし、防災活動のマンネリ化も課題となっています。
 そのため、「防災」を冠した訓練行動だけでなく地域の行事や運動会等、地域活動の中に、防災に役立つノウハウを取り込み、楽しく身に付ける工夫をしてみてはいかがでしょう。

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「田植え」今昔物語

 田植えの準備が始まった。
 畦草刈りの音、田起こしのトラクターの音があちこちで聞こえる。家々では苗床の準備。方法は家ごとに異なるだろうが、私の家では、土を入れた苗箱を畑に並べ、水、籾、薬剤を順にかけ、最後に土をかぶせる。今は、苗床用の土を購入しており、粒が太くてすぐに箱いっぱいに黒くなるが、かつては、野山に霜降り土を探しに行った。庭先に広げて干し、振るいにかけ、サラサラの土に仕上げて利用した。粒が小さく、すぐに水に溶けるため、いくらかけても籾が隠れなかった記憶がある。覆土がすんだら、あとはトンネルをして終了。1週間もするとトンネルの中は見事な緑の絨毯になる。その後は水をかけながら、田植えまで待機する。
 水溜は、常に人力であった。牛に鋤を引っ張らせ、ハイ(前進)、ドウ(左へ)コシ(右へ)と牛語を操る。苗床の苗を一握りずつ重ねて藁で止め、田植えの始まる田んぼのあちこちに投げ入れる。田植紐の赤い玉を目印に植えるのだが、泥土に足を取られ、危うく倒れそうになる。
 牛の代わりにテーラーが使われだしたのは、昭和三十五年頃だと「ヤンマー」に勤めていた「クボタ」氏から教わった。我が家では、すぐにテーラーを買う余裕もなく、その後もしばらくは牛の世話になった。当時は、どの家にも牛や鶏が飼われていた。近年は、牛糞や鶏糞も店で購入でき、田植え長靴のおかげで泥まみれにならずに済んでいる。
 まさに昔があっての今であり、あらためて先人に感謝。
 今年も豊作でありますように…
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