2024年11月01日

「失対さん」に感謝

 今年の夏はとにかく暑かった。そしてまだ暑い。暑さと寒さが共存して、これまでの春夏秋冬が崩れていっている。毎朝出勤する際、それなりの道幅があるにもかかわらず、道脇の草が生い茂り、ガードレールがあったかどうか、路側帯の白線があったかどうかも認識できなくなっている。センターラインによらないと車に枝がぶつかりそうだし、カーブでは危うく対向車とぶつかりそうになる毎日である。安全運転を!
 そうした日々の中で「昔は、失対さんがきれいにしてくれていたな」とよく思い出す。「失対さん」とは、私が勝手に読んでいる言葉であり、失礼があったらお詫びします。かつて、道路の除草作業をしてくれる人たちがいました。私が出勤する時間には、もう現場に来られ、帰るときには見事に除草され、綺麗な片付けようでした。どこの事業者さんかと思いきや失業対策事業として雇われている方々だと教えてもらいました。しかし、いつ頃までだったろうか。失対さんを見かけなくなって久しい。ずっと昔のような気も。

 少し、時代を振りかえると(間違っていたらすみません。)失対さんの始まりは、炭鉱閉山による離職者の緊急就労対策事業のようでした。本市の炭鉱の始まりは明治の代からで、「松浦市 炭坑史」によると、寛延二年(1749年)から昭和四十四年(1969年)までの220年の記録が記載されていました。
 旧松浦市が誕生した昭和三十年。石炭産業は活況を呈し、昭和三十四年には人口四万四千八百人となった。しかし、一方で、時代は石炭から石油へ、昭和四十四年には十六あった全ての炭鉱が閉山した。閉山後は、街を離れる人も多く、多くの住民が職を失った。昭和三十四年には、国策による炭離救済緊急就労対策事業が始まった。この事業が「失対さん」だったのではないか。事業費の8割が国の補助であるこの事業は、当時、財政再建団体であった松浦市の支えとなったようである。苦しい時代だったのだろうか。炭鉱を中心に多くの人が生活をしてきた松浦市。石炭離職者対策は、平成十三年に廃止となっているようで、失対さんを見かけなくなったのはその頃だろうか。長い月日がたち、荒れ放題の道路を見るにつけ、あの頃の「失対さん」を思い出し、改めて感謝したいと思う日々です。

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posted by 松浦市社協会長 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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