2025年05月01日

笑門来福 オフライン版 第42号

 笑門来福 オフライン版 第42号です。
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今日の勉強「昭和百年」について

 令和七年(2025年)の今年は「昭和百年」。この百年には、昭和、平成、令和が含まれる。大正天皇が大正十五年十二月二十五日に崩御され、皇太子裕仁親王が即位、改元により「昭和」となる。昭和元年(1926年)はわずか七日間だけ。ちなみに昭和の最後六十四年も、一月七日までの七日間だけでした。

 昭和五年(1930年)頃は、世界恐慌の影響を受け、日本は大変な不景気でした。翌年の九月十八日に中国奉天郊外で起きた線路の爆破事故をきっかけに、現地の日本軍(関東軍)が中国軍を攻撃、満州を占領下においた。その翌年(1932年)、現地の関東軍による満州国が建国され、満州農業移民事業により、昭和二十年(1945年)までの十四年間に約二十七万人の日本人が移民した。

 第二次世界大戦終結は昭和二十年八月十五日。昭和天皇による玉音放送でポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を国民に伝えた。海外では「9月2日」を終戦の日とされている。日本政府が降伏文書調印後に、ハリートルーマン大統領が全国民向けにラジオ放送で宣言した日である。
 しかし、沖縄では敗残兵による抵抗が続いていた。沖縄戦は、同年九月七日、沖縄の日本軍がアメリカ軍に降伏文書に署名することで終結した。

 昭和二十二年(1947年)五月三日に日本国憲法が施行され、昭和二十六年(1951年)九月八日にサンフランシスコ平和条約に調印、終戦から7年間の連合国占領期を経て、昭和二十七年(1952年)四月二十八日に、日本は主権を回復した。
 しかし、沖縄は引き続きアメリカの施政権下に置かれ、本土復帰は、昭和四十七年(1972年)五月十五日で、終戦から二十七年が経っていた。今年は、終戦から八十年、沖縄本土復帰から五十三年です。この平和を守り抜いてくださった方々に感謝です。

 これからもずっと平和でありつづけられますように
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子どもの日

 屋根より高いこいのぼり・・と屋根を見上げても、こいのぼりを仰ぎ見る家は少なくなりました。女の子の出産には、羽子板にひな節句、男の子の出産には、破魔弓に端午の節句と心待ちにした日々がありました。今日は何着ていこうかと、着物選びを楽しんだ時期があったのも、遠い昔のように思われます。
 久しぶりに歌でも歌ってみましょうか。5月と言えば・・
こいのぼり(作詞:近藤宮子)
やねよりたかいこいのぼり おおきいまごいはおとうさん
ちいさいひごいはこどもたち おもしろそうにおよいでる

鯉のぼり(作詞:文部省)
甍(いらか)の波と雲の波 重なる波の中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる朝風に 高く泳ぐや 鯉のぼり
開(ひら)ける広き其の口に 舟をも呑まん様(さま)見えて
ゆたかに振るう尾鰭(おひれ)には 物に動ぜぬ姿あり

背くらべ(作詞:海野厚)
柱のきずはおととしの 五月五日の背くらべ
ちまきたべたべ兄さんが 計ってくれた背のたけ
きのう比べりゃ何のこと やっと羽織の紐のたけ
柱にもたれりゃすぐ見える  遠いお山も背くらべ
雲の上まで顔出して てんでに背のびしていても
雪の帽子をぬいでさえ 一はやっぱり富士の山

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