笑門来福 オフライン版 第29号です。
2024年04月01日
今日の勉強「成年後見制度について」
認知症や知的障害などにより、本人が判断できないままに売買契約をさせられたり、違法な手続きをさせられることが無いように、法律に基づいて、本人の代理行為が出来る人を裁判所が選んでくれます。この後見人をつけてもらう手続きを成年後見制度と言います。
成年後見制度を利用するためには、申立て手続きが必要です。判断能力が欠けると自分で申立てできなくなります。そのため、家族申立ても可能であり、家族や身内がいない人、家族から経済的虐待等を受けている場合は、市長申立てをすることができます。
成年後見制度を利用し始めると、将来にわたり取り消すことはできませんし、本人であっても、自分のお金を安易に家族のために使うことはできなくなります。そのため、後見制度には、判断能力の程度によって、全て代理権を行使する「後見」、一定の事項だけ代理権を行使する「保佐」、「補助」に分けて申立てをします。
誰が後見人になるかは裁判所が決定します。家族が後見人になる割合は二割程度で、その他は弁護士、司法書士、社会福祉士、社会福祉協議会などの法人が選ばれます。家族による虐待がある場合は、裁判所は家族を後見人に選びません。
制度を利用する場合、その人の資産の状況に応じて後見人に支払う報酬が発生します。報酬を払える資力がなくても、行政からの補助制度がありますので、制度の利用は可能です。
自分の判断能力があるうちに、後見人を指定しておく任意後見制度もあります。自分の子や甥姪など、将来後見人になってもらえる人と事前に契約を結んでおくもので、公証役場で、任意後見契約公正証書を作成します。
成年後見制度を利用するためには、申立て手続きが必要です。判断能力が欠けると自分で申立てできなくなります。そのため、家族申立ても可能であり、家族や身内がいない人、家族から経済的虐待等を受けている場合は、市長申立てをすることができます。
成年後見制度を利用し始めると、将来にわたり取り消すことはできませんし、本人であっても、自分のお金を安易に家族のために使うことはできなくなります。そのため、後見制度には、判断能力の程度によって、全て代理権を行使する「後見」、一定の事項だけ代理権を行使する「保佐」、「補助」に分けて申立てをします。
誰が後見人になるかは裁判所が決定します。家族が後見人になる割合は二割程度で、その他は弁護士、司法書士、社会福祉士、社会福祉協議会などの法人が選ばれます。家族による虐待がある場合は、裁判所は家族を後見人に選びません。
制度を利用する場合、その人の資産の状況に応じて後見人に支払う報酬が発生します。報酬を払える資力がなくても、行政からの補助制度がありますので、制度の利用は可能です。
自分の判断能力があるうちに、後見人を指定しておく任意後見制度もあります。自分の子や甥姪など、将来後見人になってもらえる人と事前に契約を結んでおくもので、公証役場で、任意後見契約公正証書を作成します。
花は桜木 人は武士
この言葉の意味は、どっちも潔いとされるものを詠んであります。現在は、武士と呼ばれる人はいませんが、武士の心意気を持つ方はおられます。ほら、私の近くにも。そして皆さんの近くにも。
今年三月末日をもって、市社会福祉協議会の寺澤事務局長が定年退職を迎えられました。三十八年の長きにわたり、本会のためにご尽力いただき、ほんとうにありがとうございました。
社会福祉協議会は、市町村合併の前月、平成十七年十二月一日に旧松浦市、福島町、鷹島町と合併。その翌々年から、今日まで事務局長としての大役を果たしてこられました。六十歳での定年は早すぎますが、決まり事は守るものと後進に席を譲り、今後は後方支援として引き続きお勤め頂けることになりました。本当にありがたいことです。
人生の半分を社協に注ぎ、いい時も悪い時も乗り越えて今がある。「頑張ってきた」という自負の念は、私もそうであったように定年を迎える誰もがもつ思いではないでしょうか。私の第二の人生がこの 「笑門来福」にあるように、寺澤局長の第二の人生に幸あれと願います。
昨日頃より、桜の花が五輪、十輪と膨らみ始めました。満開の桜が待ち遠しい。そう話をしたら、夫が高枝はさみで庭の桜の枝を取ってくれました。事務所の窓口に飾らせてもらおうと話をしていたとき、この言葉が目に入りました。この歌は、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純が残した言葉だそうです。「一休・・」 そうあの一休禅師さんです。
これだと思い、寺澤事務局長のはなむけにおくります。
寺澤局長、長い間、本当にお疲れさまでした。そしてこれからも、よろしくお願いします。
今年三月末日をもって、市社会福祉協議会の寺澤事務局長が定年退職を迎えられました。三十八年の長きにわたり、本会のためにご尽力いただき、ほんとうにありがとうございました。
社会福祉協議会は、市町村合併の前月、平成十七年十二月一日に旧松浦市、福島町、鷹島町と合併。その翌々年から、今日まで事務局長としての大役を果たしてこられました。六十歳での定年は早すぎますが、決まり事は守るものと後進に席を譲り、今後は後方支援として引き続きお勤め頂けることになりました。本当にありがたいことです。
人生の半分を社協に注ぎ、いい時も悪い時も乗り越えて今がある。「頑張ってきた」という自負の念は、私もそうであったように定年を迎える誰もがもつ思いではないでしょうか。私の第二の人生がこの 「笑門来福」にあるように、寺澤局長の第二の人生に幸あれと願います。
昨日頃より、桜の花が五輪、十輪と膨らみ始めました。満開の桜が待ち遠しい。そう話をしたら、夫が高枝はさみで庭の桜の枝を取ってくれました。事務所の窓口に飾らせてもらおうと話をしていたとき、この言葉が目に入りました。この歌は、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧である一休宗純が残した言葉だそうです。「一休・・」 そうあの一休禅師さんです。
これだと思い、寺澤事務局長のはなむけにおくります。
寺澤局長、長い間、本当にお疲れさまでした。そしてこれからも、よろしくお願いします。
花は桜木、人は武士、
柱は桧、魚は鯛、
小袖はもみじ、花はみよしの
一休宗純作
初桜 折しも今日は よき日なり
松尾芭蕉作