笑門来福 オフライン版 第10号です。
2022年09月01日
今日の勉強「エンディングノート」と「ライフプラン」
高齢とともに、病気や事故、認知症など様々な事情により、自分の意思を家族に伝えられなくなる日が必ずやってきます。
残された家族があなたの思いを知らないまま、争うようなことがあれば、それはとても悲しいことです。残された家族が幸せでいられるように、あなたの思いを「エンディングノート」に書いておきませんか。エンディングノートは、あなた自身の身辺整理をするためのノートでもあります。
例えば
◯ かかりつけの医療機関、介護の情報、希望する介護施設等
◯ 加入している生命保険の会社、種類、終身か定期か、死亡保険金の金額や受取人の名前等
◯ あなた名義の財産の情報、、土地、建物、預貯金、有価証券、
借金など、その財産は誰に引き継ぎたいのか、法定相続人は誰か、遺言書はいらないか、など
◯ 一人暮らしの場合の身元保証人を頼める方、認知症の場合等に備えて、財産管理の方法など。
◯ お葬式について、菩提寺や宗派、どんなお葬式にしたいか、亡くなったことを誰に伝えてほしいか、など
◯ お墓について、今後の管理の仕方など
あわせて、これからの人生を悔いなく過ごすために、年金、貯金、生命保険等のお金の使い方がとても大事です。自分を生かすためにどう使うか、これからのライフプラン、いっしょに考えてみませんか。
残された家族があなたの思いを知らないまま、争うようなことがあれば、それはとても悲しいことです。残された家族が幸せでいられるように、あなたの思いを「エンディングノート」に書いておきませんか。エンディングノートは、あなた自身の身辺整理をするためのノートでもあります。
例えば
◯ かかりつけの医療機関、介護の情報、希望する介護施設等
◯ 加入している生命保険の会社、種類、終身か定期か、死亡保険金の金額や受取人の名前等
◯ あなた名義の財産の情報、、土地、建物、預貯金、有価証券、
借金など、その財産は誰に引き継ぎたいのか、法定相続人は誰か、遺言書はいらないか、など
◯ 一人暮らしの場合の身元保証人を頼める方、認知症の場合等に備えて、財産管理の方法など。
◯ お葬式について、菩提寺や宗派、どんなお葬式にしたいか、亡くなったことを誰に伝えてほしいか、など
◯ お墓について、今後の管理の仕方など
あわせて、これからの人生を悔いなく過ごすために、年金、貯金、生命保険等のお金の使い方がとても大事です。自分を生かすためにどう使うか、これからのライフプラン、いっしょに考えてみませんか。
最後の言葉「ありがとう」
先日、近しい人が続けて亡くなりました。どちらも晩年は療養施設に入所されており、ご家族と離れての生活でした。
亡くなることは、本当に悲しいことですが、仮通夜には自宅に戻り、コロナ禍ではありますが、葬儀には多くの親戚縁者の方が参列されました。スタッフの方が「最後のお別れを」と声をかけられると、ご家族の方は「よく頑張ったね」と故人に声をかけておられました。そして、どちらも最後の言葉は「ありがとう」でした。
「大往生だ」と口にしても、幾つになっても親の死は悲しい。 まして子供をなくす親の悲しみはどれほどのものでしょう。
今年はコロナで多くの方が亡くなりました。突然の悲しみに怒りがこみあげてくるでしょう。亡くなる様はそれぞれ違いますが、それでも故人に最後にかける言葉は「ありがとう」。その思いは皆さん同じのようです。
私事ですが、舅は四十年前に亡くなり、姑は今年七回忌を迎えました。仏壇の花替えと朝のお茶湯は、時々忘れながらも日課となっています。お茶湯は、私たちが今日も一日ご飯がいただけたことに感謝する気持ちを表すものだそうですが、仏壇にご飯をお供えする度に、「ありがとう」の声が聞こえてくるような気がします。もしかすると、最後にかけた「ありがとう」の言葉が、時を超えて私たちに返ってきているのかも。
残していく家族に、最後は「ありがとう」と言ってもらえるよう、悔いのない毎日を送りたいものですね。
亡くなることは、本当に悲しいことですが、仮通夜には自宅に戻り、コロナ禍ではありますが、葬儀には多くの親戚縁者の方が参列されました。スタッフの方が「最後のお別れを」と声をかけられると、ご家族の方は「よく頑張ったね」と故人に声をかけておられました。そして、どちらも最後の言葉は「ありがとう」でした。
「大往生だ」と口にしても、幾つになっても親の死は悲しい。 まして子供をなくす親の悲しみはどれほどのものでしょう。
今年はコロナで多くの方が亡くなりました。突然の悲しみに怒りがこみあげてくるでしょう。亡くなる様はそれぞれ違いますが、それでも故人に最後にかける言葉は「ありがとう」。その思いは皆さん同じのようです。
私事ですが、舅は四十年前に亡くなり、姑は今年七回忌を迎えました。仏壇の花替えと朝のお茶湯は、時々忘れながらも日課となっています。お茶湯は、私たちが今日も一日ご飯がいただけたことに感謝する気持ちを表すものだそうですが、仏壇にご飯をお供えする度に、「ありがとう」の声が聞こえてくるような気がします。もしかすると、最後にかけた「ありがとう」の言葉が、時を超えて私たちに返ってきているのかも。
残していく家族に、最後は「ありがとう」と言ってもらえるよう、悔いのない毎日を送りたいものですね。