笑門来福 オフライン版 第9号です。
2022年08月01日
今日の勉強「ピアサポート」について
福祉の領域では「ピア」とは、「同じ立場にある仲間」を意味し、「サポート」とは、「仲間同士の支え合い」を意味します。障害のある人自身が、「ピアサポーター」として、自らの体験に基づいて、相談相手になったり、同じ仲間として社会参加や地域での交流、問題の解決等を支援したりします。
現在では、障害者、がん・難病の患者、認知症の人、産前産後に悩む親、アルコールや薬物中毒、そうした人たちの家族などにも広がっています。
I'm possible
impossible(インポッシブル)
意味:不可能、無理
↓
I'm possible(アイム ポッシブル)
意味:私はできる。
不可能と思えても、工夫次第で可能になる。
「I'm possible」(アイム ポッシブル)は、国際パラリンピック委員会公認教材で、日本障害者スポーツ協会日本パラリンピック委員会が、全国の小中高校に配布しました。
不可能と思えても、工夫次第で可能になる。
「I'm possible」(アイム ポッシブル)は、国際パラリンピック委員会公認教材で、日本障害者スポーツ協会日本パラリンピック委員会が、全国の小中高校に配布しました。
「impossible」(インポッシブル)は、不可能という意味ですが、ここに、「’」(カンマ)をつけることで、「I'm possible」できる!となります。
不可能に思われることでも、工夫次第でできるようになる。というメッセージが込められています。全ての人に通じる素敵な言葉です。
戦後七十七年目の夏
八月十五日は、終戦記念日。終戦から七十七年を迎えます。
私は、七十七年前の戦争を知らない。しかし、毎日のようにテレビからロシア軍のウクライナ侵攻の様子が映される。多くの人が亡くなり、国を追われ、異国の地での生活を余儀なくされている。一方で、戦禍にもかかわらず、多くの人が「祖国に帰りたい」と涙している。
先日、高齢の婦人から、「二度と家族を死なせたくない、戦争を起こしてはならない」その思いを伝えたいと、七十七年前に戦死した家族の「遺書」を見せていただいた。昭和二十年二月末に出征し八月に終戦。帰ってくるとの喜びも束の間、戦死広報が届いた。この遺書は、出征前に当時三十三歳で、六〇歳の母に宛て書かれたものです。この想い決して無駄にしてはいけないと改めて心に刻みます。
今年のお盆は、先祖とともに多くの戦死者に思いを馳せ、生かされている事への感謝を込めて、迎え火を灯します。
遺 書
三十余年の間、我が身を削って優しく育て上げくださった事、
深く厚くお礼申し上げます。何等孝養もできず、
始終御心労おかけしまして申し訳ありません。
深くお詫び申し上げます。
お蔭をもって、再度のお召しを受け征ける事、
男子の本懐この上もありません。
喜んで征ってまいります。感激に堪えません。
何卒母上様も御老体であれば、充々御身体御大事に、
ご無理されない様にして一日でも長生きしてくださいませ。
◯◯君 心配でしょうが、苦しいでしょうが、
心の目を開き、兄に代わって母上を大事に、
職業を習い、暮らしてください。
◯◯さん 元気でしっかり国家の為、頑張ってください。
くれぐれも、ご一同様御身体をお大事されます様。
母上様