2022年04月01日

笑門来福 オフライン版 第5号

笑門来福 オフライン版 第5号です。
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ほらほらと 振り向く先に 君おらず 淡き桜に 君を忍んで

 先日、友人のご主人が亡くなられました。
 心よりご冥福をお祈りいたします。
 コロナの感染状況は、ワクチン接種等もあって減少傾向と思いきや、まだ予断を許さない状況です。感染予防対策を徹底しながら、一日一日を大切に、悔いのないよう過ごしていきましょう。 
 テレビでは、ロシアのウクライナ侵攻の様子や反戦平和を訴える世界中の人たちの様子が放映されています。ウクライナの人々は自国を守るため、「ただ平和に暮らしたい」その一心で家族のために必死に戦っています。核の怖さを知っている日本だからこそ、過去の惨状を繰り返さないでほしいと祈るばかりです。
 日本赤十字社では、ウクライナでの人道危機対応及びウクライナからの避難民を受け入れる周辺国への救援活動を支援するため、海外救援金を募集しています。
 募金の送金方法については、社協ホームページをご覧ください。 
 松浦市役所、各支所でも救援金の受付を行っております。
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昭和中期の「志佐町地図」

 先日、社協利用者様から、古い志佐町の地図を託されました。それで、図書館に行き松浦のあゆみを辿ってみました。
 まず、地図上、随所にある炭坑です。中島鉱業所志佐炭坑、鹿爪坑、上野炭坑、吉原鉱業所大志佐炭坑、新本山炭坑、新北松炭坑等。中島鉱業所は、明治から昭和期の実業家中島徳松氏が経営する炭坑で、昭和三十三年に中興工業に改称。昭和四十四年に市内最後の新北松炭鉱が閉山。新御厨町、志佐町、調川町、上志佐村と記されており、昭和二十九年志佐町と上志佐村が新設合併する前の地図らしい。
 駅の向こうには、干拓予定地が記されている。小学校通りが県道になっており、現在の小学校付近に、町立小学校及び中学校、県立平戸高等学校志佐分校が建っている。
 志佐小学校の歴史は、明治六年に無量寺(現圓城寺)跡の家屋で開校され、翌年志佐村高野村連合で郡代後に志佐大明小学校を設置。その後、志佐尋常高等小学校を経て、大正十四年に現エミネント工場地に新校舎が完成、昭和十六年に志佐国民学校に改称。昭和二十二年志佐町立志佐小学校となる。昭和三〇年に市制施行により松浦市立志佐小学校・志佐中学校に改称。中学校は、昭和三十二年に市立上志佐中学校を統合し、三十五年辻の尾の新校舎に移転。
 長崎県立平戸高等学校(現猶興館高校)志佐分校は、昭和三十七年に開校した長崎県立松浦高等学校に、四四年に移管。志佐町浦免公民館付近に、志佐町役場、志佐町郵便局が建っている。昭和三〇年に四町合併により、現在の中央公園の場所に旧松浦市役所が建てられ、その後昭和五十六年十一月に現在の場所に移転。
 市制施行二〜三年前の志佐町です。間違いがあればご容赦を。
 名残は尽きませんが本日はここまで
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今日の勉強「福祉教育」について

 福祉教育とは、思いやりの心をもって、ともに育ち、ともに生きるための福祉の心を育むための様々な取り組みの事です。
 学校や地域での取り組みを通して、地域の様々な福祉課題を我が事として捉え、地域全体・住民全体で考えていく福祉観を醸成します。
 社会福祉協議会では、学校、地域を対象に、福祉教育のための企画、運営、講師の派遣、福祉体験学習のための車いす、アイマスク等の備品の貸し出しを行っています。
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